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来る、六月十六日から、岸和田競輪場で第七十三回高松宮記念杯競輪が開催されます。
ここでは、記者の宮杯の思い出に付いて、拙文を載せたいと思います。時間のある方にお付き合い頂ければ幸いです。(文中、選手名に関しては敬称を略しますが、今回に関しては「選手」と強調させてもらいます)
中野浩一選手の名前しか知らぬまま、ある年の4月に、この業界に入った私は、6月に行われた大津びわこ競輪場での高松宮杯に先輩方に連れられて、取材補佐の立場で向かいました。S級トップクラスを目の前にした私は、ただ、検車場の中を先輩の後ろを付いて歩くだけの状態。
その検車場の中でひと際、記者に囲まれて、オーラを出している選手がいました。そう、中野浩一選手です。人ごみの後ろから声を聞こうとしましたが、さすがに距離があり聞き取れずに、「第一接触」は終わりました。が、その後、記者がばらけた後、会社の先輩記者が単独で取材をしてくれたお陰で、至近距離で声を聞く事ができました。近くにいて、圧を感じると言うか、本当にオーラが出ている様でした。
レース内容は余り頭に残っていませんが、準決勝、西王座戦の後、吉岡稔真選手が勝ち上がれない事が分かった時の中野選手の落胆した表情は頭に残っています。共同インタビューでも、一緒に勝ち上がれなかった事を本当に悔やんでいました。最終日の決勝は奈良の前検作業を終えてから、近鉄、国鉄を乗り継いでびわこ競輪場に向かい、決勝戦には間に合いました。レースは宮杯初優勝に向け、渾身の捲りを放つ中野選手を、宮杯を得意にしていた滝沢正光選手が振り切り、中野選手の全冠制覇を阻んで開催は終わりました。
その後の記者会見で中野選手が引退を発表し、私は二度と、選手としての中野さんを取材する事は叶いませんでした。もう一度、目の前でレースを見て、取材をしてみたかった。解説者としての中野さんとは顔を合わす機会はありますが、久保千代志さんを介してではないと、会話は弾みませんが。では、初回はこの辺りで。