アオケイ・小田競・中部競輪・競輪研究4紙合同の競輪サイト
取手競輪場では「オッズパーク杯 (FⅡ)」は10日に2日目を迎える。準決勝7Rに出走するに高橋京治に話を聞いた。
1983年4月にデビューした高橋は今年、選手生活40年目、60歳と還暦間近。年明けの落車で右ろっ骨を骨折するも、復帰初戦でいきなりの優出を果たすなど、闘志衰えぬベテランレーサーだ。競輪選手になるキッカケは「小学校6年生の時、近所の家の前にアメ車の大きなトランザムが停まっていた。持ち主は後に師匠となる小池和博さん。当時はスーパーカーブーム、僕は小池さんが競輪選手だということも、競輪すらも知らなかったけど憧れだった」と明かす。
競輪の道へと導いた存在はもう一人。「高校卒業後の進路を考えていた時期に、中野浩一さんがプロスポーツ選手で初めて1億円を稼いで王貞治さんを超えたことが話題になった。自分は中学生の頃からサイクリングが趣味で、かつ中野さんと同じ陸上競技の経験があった。『競輪』について調べていくうちに、どんどんその気になっていって適性で競輪学校を受験する流れに…」。
「2次試験を終えて合格の確信を持ってから、小池さんには事後報告(笑)。面倒を見てもらって師匠になっていただきました」。
埼玉所属では最年長となった高橋だが「長く選手をやっていれば偉いというものではない。でも、伊藤公人さんが60歳ちかくまで戦っていたのを見ていたので、僕もまずは60歳までという気持ち。そこからは怪我をしなければ、少しでも長くできればという思いはありますね。そういう自分の姿を後輩たちが見て、今度は彼らが長く現役を続けたいと思ってもらえたら嬉しい」と心の火を燃えたぎらせる。
51期の現役選手は高橋と多田司の2選手のみ。多田とは養成所時代に同班の間柄、近年は同あっせんが多くなって交流の機会が増えていったそうで「多田君とは同期同学年、顔を合わせるたび互いに励まし合っているよ。昨年は萩原操君がS級のまま引退しちゃってね。数々の記録を打ち立てて、ずっと憧れていただけに寂しさがある」と話す。
準決勝は地元期待のルーキー・小坂丈の番手回り。小坂は4車のアドバンテージを生かした主導権取りが濃厚だし、堅実な高橋もマークを外さないとみて順当決着に期待だ。