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西武園競輪場の思い出話②~二段駆け編~

2022/08/12

昔の競輪は盛り上がっていた。いまと何が違うのか考えたが、やはり皆が使えるお金に余裕があったからだろう。それを車券に費やしていた。

特に盛り上がったのは補充選手がいるレース。

今から15年ほど前までは補充で出走する選手は競走得点ノーカウント。要するに9着を取っても競走得点は下がらない。

なので番組マンも地元の自力型、もしくは地元地区の自力型がいるレースに補充選手を乗せていた。追い込み屋の選手でも補充の時にはラインの先頭を買って出る、点数は下がらないし、9着でも賞金は貰えるから補充出走する意味がある。

それに群がるお客(僕ら)は補充の引っ張りからの二段駆け車券を買っていた。良く決まるのが中部勢の二段駆け。次に九州勢。1番下手くそなのが東北勢。それらを自分の中で取捨し、厚く張る時とそうでない時を見極めて買っていた。そのようなレースが多々あればお金が結構回っていたものです。

 

そして400バンクにリニューアルした西武園競輪場で最初にビッグレースが行われたのが約24年前(1998年)の日本選手権競輪(通称ダービー)。

決勝戦の顔触れは正直忘れたが、岡崎孝士と吉岡稔真の2人がいたのは覚えている。そして岡崎が捨て身の逃げに出て、吉岡の番手捲りが決まったのは忘れていないし、一番人気ではあったが2連単の車券をゲットしたことも昨日のように覚えている。あ、そしてアオケイ本紙は確か山田裕仁が本命だったような気がする。なので山田も決勝に乗っていたはず!

その補充出走の競走得点ノーカウントが廃止され、二段駆け自体も「悪」のように扱われる昨今。二段駆けを敢行して、1着選手よりも引き出した選手が5秒以上遅れてゴールすると失格になるようなルールもできた(違ってたらゴメンナサイ)。その頃から競輪は徐々に人気がなくなった。コロナ禍となり、ネット投票の需要が伸びた為に最近は売り上げこそ良いが、競輪場に足を運ぶファンはめっきりと減った。

それでも今回は久しぶりに西武園競輪場で行われているビッグレース。長丁場の6日間、ぜひお時間ができた方は競輪場に足を運んでみてください。そのお手伝いに「アオケイ」新聞を買っていただけると有り難いですm(_ _)m

敬称略