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【PIST6】皿屋豊「あの頃のママチャリ通学が自分の原点かもしれない」

2022/10/02

千葉の「TIPSTAR DOME CHIBA」で1日から「PIST6 Championship」サードクォーターラウンド5が開催中。2日の準決勝B(5R)に出場予定の皿屋豊に話を聞いた。

高校時代は帰宅部だったという皿屋だが、毎日ある時間は必死になっていたという。「朝の通学は毎日必死でした。学校が山奥にあって、通学手段は自転車ぐらいだった。片道30分かけてママチャリを漕いでいましたね、雨が強かろうが風が強かろうが」。

 

「自分はギリギリまで寝ていたいタイプなので、となると通学時間を短縮できれば睡眠時間が増えると思って。だから懸命にママチャリを走らせて、最終的には30分かかっていた時間を10分ほど縮められました(笑)」と笑う。

 

ディスクホイールもなければ、ギヤも換えられないママチャリ。時間を短縮させるには並大抵ではない脚力が必要なのでは…。「今思えば、あの頃のママチャリ通学が自分の原点かもしれませんね(笑)。脚力の土台が作られました」。

 

「遅刻は一度だけ。嵐のような中、懸命に漕いだけど、全く自転車が進まなかったのを覚えています。元・公務員のイメージからなのか、真面目に思われることが多いけど全然。妻は呆れていますよ(笑)」。

 

公務員から転職した異色レーサーとして知られる皿屋。「自転車が好きで仕方ない。好きなことを仕事にできて幸せです。大変なこともあるけど、競輪が嫌になったことはないですね。競輪選手になることができて本当によかった」と、しみじみ。

 

「和歌山国体での入賞(成年1㎞タイムトライアル8位)が迷っていた競輪学校受験の後押しになった。あの時に優勝したのが松本貴治君で上位には小原佑太君(3位)もいたし、ほかにも佐伯亮輔君など、競輪選手になった子が多く参加していた。少年の部は南潤君が優勝していたかな。国体には未来の競輪選手がたくさんいますからね」。

 

「人生は何が起こるか分からんです。自分は29歳から本格的に自転車に乗り始め、選手になれた。誰にもでもチャンスはありますよ」と話す。

 

皿屋が言うとおり、競輪界にはさまざまな経歴を持つ選手が多い。個性あふれる選手ひとりひとりの背景や情熱も、レースを楽しむ上では欠かせない情報ではないかと記者は思っている。また、『職業:競輪選手』という選択肢を知ってもらい、興味をもってもらえるような記事もお届けしていきたい。