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千葉の「TIPSTAR DOME CHIBA」で13日から「PIST6 ChampionShip2022-23」EXTRA STAGEラウンド5が開催される。一次予選(4R)に出走する緑川修平に話を聞いた。
『元自衛隊員』という異色の経歴の持ち主で知られる緑川。普通科連隊(陸上自衛隊)の一員として、地元の福島や多賀城、函館など北日本を中心に駐屯していたそうだ。
高校は自転車競技部に所属し、卒業後は88期生として競輪学校を受験するも不合格。「その時は選手になりたいという熱意はそこまでなく、自衛隊員の道へ。だけど、この仕事を定年まで続けられそうもないと感じて…。その頃に高校の同級生・渡辺幸訓や周りの先輩後輩たちが選手として活躍していた。“頑張れば俺もできるんじゃないか”って自分の可能性を確かめたくなって、それに好きな自転車で食べていくなら競輪選手になるしかないなって」
その後、自衛隊を退職。競輪学校受験の年齢制度撤廃も追い風となり、撤廃した最初の93期から94、95期と受験し、通算4度目の受験で合格すると晴れて競輪選手への道が開かれた。
「才能がない自分でも選手になれて、S級にも上がれたのは師匠のおかげ」と緑川は言う。緑川は自衛隊員時代に宮古島国際トライアスロン大会で3位の実績があり、その活躍がある人物の目に留まった。佐藤慎太郎や山崎芳仁を育てた『添田広福』だ。
(個人的には添田さん作詞・作曲の“三本ローラーの詩”が好きすぎて、聴いたことがない人はぜひ検索して聴いてください!)
「再び競輪選手を目指すにあたって師匠が必要になった。そこで当時、福島支部の役員だった添田さんが声をかけてくれたんです。厳しい人けど、人の個性を理解して長所を伸ばしてくれる。中央大学でも長年、指導にあたっていますが、指導力は抜群。添田さんと出会わなければ今の自分はいません」と恩師へ感謝の思いを口にする。
続けて「頑張った分だけ返ってくるし、競輪選手になって良かった」と笑顔を見せるも一転、緑川は表情を変えて「自分は気持ちが弱いタイプ。練習で太鼓判を押されても、いくら練習をやっても自信を持ってレースに臨めたことは一度もない。周りから“向いていない”とか“自衛隊のままで良かったんじゃ”と言われることも」と苦笑い。
ここ数年はA級暮らしが続いているが「もうすぐ40歳だけど、年齢のせいにはしたくない。常に上を目指す気持ちがないと維持さえできない厳しい世界ですから。レースでも強い気持ちを持って臨めるかどうかが大事ですよね」と自分に言い聞かせるように話した。
強い気持ち、このピースがはまったときの緑川は手がつけられない。PIST6においては前回、積極的なレース運びで好走を見せていたし、今回のタイムトライアルでは全体3位通過と優勝争いががぜん面白くなってきた。