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玉野競輪
守谷陽介 選手
記者「もうスポーツ紙もネットも平原康多しか載っていませんよ。数人には伝えていたみたいですが守谷選手も?」
守谷「はい。僕は20日だったかな。電話がかかってきて聞きました。現役の同期は僕だけかな。あとは早くに辞めたもう一人には伝えたって言っていました。僕もビックリしましたし、残念ですよね。競輪界にとって。」
記者「怪我の影響って事ですが、その辺りも聞いていたんですか?」
守谷「それも聞いてました。本当にキツそうでしたよ。記者さんの前では表情に出さないでしょ。今年の3月に玉野に来て失格したレースあったじゃないですか。あの時、車で送ったんですけど、かなり落ち込んでいましたからね。僕も気持ちを上げさせようと色々努力はしたんですけど。しばらく休むのもいいんじゃないかとか。ヘルニアは場合によるけど休めば引っ込むこともあるし。まぁ本人の決めたことですから。僕らじゃとうてい真似できない事をやってきた。平原が前で頑張って、次は若手の番手を回って援護して育てて。競輪界に必要な人間だから選手として終わっても、他で活躍して欲しいですね。もう引っ張りだこになってるでしょ(笑)。各社争奪戦。」
記者「守谷選手のYouTube出演も?」
守谷「当然、声はかけないと(笑)。アイツよく勉強してるんですよ。僕の動画は1本目から全部見ていたらしくて。競輪もだけど下調べが凄い。まぁ動画は冗談でも、今度機会があったら一緒に飯でもって事になっています。記者さん 写真いるでしょ? いいの持ってきてるんですよ。今回はこうなるだろうなと。コレ。平原が静岡GPで来ていたユニフォームなんです。これで写真いっときましょう。」