特別インタビュー

レジェンド去る!神山雄一郎 引退会見レポート

2024/12/24

G1史上最多となる16Vの競輪界のレジェンドこと、神山雄一郎(56歳・栃木県・61期・S級2班)が24日、都内で引退会見を行った。

 

引退会見 冒頭あいさつ

 

私、神山雄一郎は昨日まで走っていました取手競輪を最後に、競輪選手を引退させていただく決意をしました。

競輪関係者の皆様には本当に長い間、お世話になりました。同僚の競輪選手、中野浩一さんをはじめ先輩方の選手、地元栃木の選手、JKAの皆様、ファンの皆様、競輪場で働いていられる皆様、宿舎で食事を作ってくれる皆様。感謝の気持ちでいっぱいです。素晴らしい36年間の競輪選手生活でした。

 

神山選手奥さまからの手紙

 

お父さん、選手生活大変お疲れ様でした。クビになるまで競走をしていたいと言っていたので、引退は大きな決断だったと思います。成績が悪くても愚痴一つなく、家族に全く心配をかけることはありませんでした。

子どもたちはお父さんの競輪に対する姿勢を見てきましたので、今取り組んでいるスポーツの種類は違いますが、お父さんを追いかけているような気がします。今年の夏頃、今回の話を聞きました。昨日まで1レース、1レース噛みしめるものがあったと思います。

次の人生も輝いてもらいたいと思います。これからも家族3人サポートしていきます。まずはゆっくり休んでください。お疲れ様でした。

 

質疑応答

 

――いつ引退を決意したのか、その経緯は

 

自分でもいつ決めたとかは、あまり定かではなくて。引き金の1つは6月の函館競輪での失格、自分の中では考えるところがあったので。基本的には競輪が好きなので、できることなら一生やり続けたい。でも、一生はやれない仕事、いつかは引退しなければいけないので、それを考えたのはその時。それまでは、そういうことさえも考えずに突き進んでいただけでした。

 

――ご家族や周りの選手に相談は

 

言葉が良いかは分からないけど、「(失格に)やっちったよ」って。やっぱり仲間内でも「神山さんA級じゃん」とかって言われるじゃないですか。その言葉が心に残って「うわ~、どうっすっぺ」っていう、まさにそういう感覚でずっと過ごしてきて。そこから降格する前に半年あって、どうしようと思いながらも一戦一戦、頑張ってきて。誰かに相談とかはなく、家族とは常々そういった近いような話はしていましたけど、家族としては「そろそろ良いんじゃないかな」と思っていたかもしれないので、僕が相談したら確実に、そっち(引退)の方向に連れて行かれると思った。だから、あまり相談せず自分の中で上手く処理していたし、いつ決めたかとなると、つい最近かなという感じです。

 

――引退を発表して、今の心境は

 

こんな日が来ちゃったのか」っていうのが本当の心境です。それぐらい自分の中では競輪が好きだったので。正直、やれることなら本当に一生戦い続けて、上位で戦い続けてという気持ちでいたので。「この日が来てしまったのか」っていうのが1番です。

 

――長い間、数々の成績を残してきて印象に残っているレースは

 

初めて獲った特別競輪が宇都宮・地元オールスター(93年)だったので。1番心に残っているかもしれないですね。競走のレベルに限らず、たくさん競走があるし、昨日の取手のレースも心に残るレースだったので、決められないですけどね。

 

――今後について

 

突然っていえば、突然辞めたという感じもあるので、何も決めていないですけど、まずは家族との時間を過ごしながら、ゆっくりして。何か自分の積んできたキャリアが後輩のためになることがあれば、そういうこともしたいなと思いますけど。今のところはひと休みして、そういう時が来たらまたご報告させていただければと思います。

 

――選手として最後にファンのみなさんへ

 

本当にデビューしてから、たくさん応援していただいたファンのみなさんには感謝しかありません。今後も何かの形で競輪界に携われたら良いなと思いますので、今後とも応援してくれると嬉しいです。本当に長い間ありがとうございました。

 

――地元でのレースは、どんなものであったのか

 

特別競輪とほぼ変わらず走ったつもりだったし、思い入れや心を込めて走ったつもりです。

 

――地元の栃木県民へメッセージ

 

町中であったり、好きなスーパー銭湯に行くと「良い体してるな~」と声をかけられたり、

応援していただいてきた。県民のみなさま、僕の方こそ感謝しています、と伝えたいですね。

 

――積み上げてきた記録について

 

率直に言いますと「良くやったな~」という感じです。競輪学校入学してデビューして、何としてでも特別競輪を優勝したいという気持ちだったので、(16回も)そんなに特別競輪で勝ったというのも信じられないですし、思い起こせば、函館のふるさとダービーの前夜祭みたいな席で滝澤正光さんと一緒に食事をして「滝澤さん、特別競輪を何回優勝したんですか?」と聞いたら「俺はまだ12回だよ」と言っていて、ビックリして「この人、12回も獲っているのかよ」と。その時に特別競輪、滝澤さんの凄さを感じて。その記録を抜こうとは思っていなかったけど、16回も獲れて良く抜いたなと。1レース1レースを積み上げてきて特別競輪に限って言えば、決勝に辿り着いて満足するけど「自分の競輪に対する姿勢や練習を評価するには、ここを獲らないといけない」という気持ちが、もしかしたら他の人よりも強かったのかもしれないですね。

 

――「競輪が好き」、その魅力とは

 

よく自転車が好きと言われるんですけど、競輪が好きなんです。競輪を作ってくれた倉茂貞助(武)さんに本当に感謝。こんなに素晴らしい競技は世界中を探してもないんじゃないかなと思う。その魅力は勝負でありつつ、車券の対象になっていて。負けたとしても、やりきった感を出せるレースがあるところ。勝っても、どことなく釈然としないレースもあったりして、そこが競輪選手としての競輪の魅力かなと負けても良いわけじゃないけど、負けの中に「カチ」があるというか。勝ち負けのカチであったり、物の価値のカチであったり、そのことが競輪に取り憑かれる魅力だと思う。

 

みんな目先の1勝が欲しいのは分かるけど、今日の負けの中にお前は何を感じ取ったか、そこがすごく大事かなと。そこに僕はすごく魅力や競輪の奥深さを感じていました。

 

――神山選手にとって原動力とは

 

特別競輪の決勝でもS級の一般戦でも、同じ気持ちで走れるんです。「次のレースで何とか1着を取ってやろう」と、なかなか選手を辞められなかったのは、そういう思いがあったから。ファンの声援も多いですし、自分勝手に辞められないなっていう状況になっちゃったっていうのもある。900勝も取れないかなと思ったりもしたけど、色んな方に支えられて取らなきゃ辞められないなと。周りの支えも原動力になりました。

 

――「競輪」とは

 

人生そのもの。競輪が大好きで、ちょっと前までは競輪で力を出し尽くして、自分の力で最後は棺桶の中に辿り着く力だけ残して競輪を走り続けようと思っていたぐらいなので(笑)

 

――どのような心境でラストランとなった取手を走ったか

 

自分の中では最後という気持ちでいた。思いのほか落ち着いて参加したし、最後のレースへも普段通りの気持ちでやれたと思います。ただ、引退は弟子の飯嶋(則之)と(神山)拓弥には伝えていた。僕は宿舎の生活が好きで、あいつらと一緒だと楽しいし、何とか一緒の配分になれるようにとお願いしました。

 

――何千人という選手と対戦して「強い、速い」と思った選手は

 

それは数え切れないほど、いっぱいいる。競輪選手みんながみんな魅力的な選手がいっぱいいるので、強い弱い関係なく…。(こらえきれず涙し)すいません。みんなそうですけど、素晴らしい選手がたくさんいますので…。(涙をすすり)ただやっぱり、自分の中では同世代だった吉岡稔真選手を勝手にライバル視して、常に頭の中にいて練習をして。それこそ吉岡君に認められる選手になりたくて頑張ってきたつもりです。

 

本当に言いたいのは良い選手がいっぱいいるので…。そんな仲間、みんながライバルである僕を応援してくれたり、引退するにあたって言葉をかけてくれたりして、本当に競輪って良いなって思ったり。みんな競輪学校を受けて選手になって、一生懸命頑張って上を目指して一緒に戦ったりしてきて、勝手に思っていますけど、そういった選手は自分の財産だと思っています。(涙を拭って)すいません。

 

――グランプリに16回出場、4年連続準優勝という時期も。この後は後輩の眞杉匠選手が出場されますが、グランプリへの思いは?

 

グランプリを勝ちたかったなという気持ちは、正直、すごく強いです。やっぱりそこはみんなが目指すところなので、絶対に勝てるとは限らないので。格好良く言えば、そこを目指してずっと頑張ってこられたのは良かったなと思います。獲りたかったのは獲りたかったんですけど、本当…、しょうがないなって感じですね。なかなか自分が獲れなかったレ-スですし、グランプリっていうレースを見たくなかった。時期的に1230日になりますので、まぁ笑い話ですけど、選手になって良い正月を迎えたことがなかったので(笑)。今年は選手を引退したことですし、卑下せずに気持ち良くレースを見て。さっきも言いましたけれど、選手みんな素晴らしいので。同県の後輩の眞杉は当然ですけど、全員を応援して見ていたいと思います。

 

【神山雄一郎(かみやま ゆういちろう)】

1968年(昭43)4月7日生まれ、栃木県小山市出身、作新学院高卒。

競輪学校(現養成所)61期生、在所1位で卒業。卒業記念レースでも5戦全勝で完全Vを飾る。

88年5月に花月園(新人リーグ)でデビューして完全V。93年宇都宮オールスターでG1初優勝。

99年には井上茂徳、滝澤正光に続く史上3人目となるグランドスラムを達成。

通算成績2931戦909勝。通算獲得賞金29億3830万1609円は歴代トップ。GI優勝16回、GII優勝9回、GIII優勝99回。

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