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福島の88期生はスターの宝庫で、山崎芳仁、成田和也、渡邉一成は今でもS級上位で活躍しているが、今回松戸を走っている坂口卓士も競輪界には欠かせない名物選手。戦法『根性』と言うような、熱い競輪が持ち味だった。
個人的に一番印象に残っているのは、当時“最強“と呼ばれていた小野俊之と激しく競ったレース。場所が千葉というのは覚えているが、それ以外の記憶がほとんどないので、今回改めて坂口に聞いてみた。
「あれは自分の勲章と言うか、今思えば、よくあんなことしたなってレース(笑)。お正月開催の千葉でしたね。(佐藤)慎太郎さんの京王閣グランプリの打ち上げに参加して、そこで浴びるほど酒を飲んで、ワインまみれの白シャツのまま開催に行ったのを覚えています。小野さんと競ったのはその決勝。あのときの自分はS級に上がって1年2年で、追い込み寄りの自在だったんですけど、決勝は鈴木誠さん(千葉・引退)に任されたのもあって責任重大でした。当時の小野さんと言ったら、競輪界を引っ張る人気選手で特別競輪の常連。競る気なんて全くなかったんですけど、流れでたまたま内を潜り込んで行っちゃいました。競った感想? そりゃもう、格が違うなと。自分も必死に内で抵抗したけど、向こうは全然びくともしないで、はいはいって感じ(苦笑)。最後は苦し紛れに体を預けてそのまま自分が遅れちゃいました」
S級の在籍期間はそれなりに長かったし、FⅠ優勝は何度かあって、GⅢの決勝も1回か2回あると思ったが、「どっちもないです。F1だったら決勝2着が2回くらい。記念の方は全くダメでした。1班に在籍したのも1期間だけだし、記録に残らない、2班定着の選手でしたよ」と説明。また、これもかなりツボだったが、「小野さんと競ったあとに大塚(健一郎)さんと勝負しなきゃいけないようなレースがあったんですけど、顔見せのときのオーラがすごすぎて、実際のレースではこわくて行けませんでした」と、小野と共に競輪界を賑わせていた怪物の名前を出して笑わせてくれた。