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小松島競輪 1日目 7R 2番車
藤田昌宏 選手
記者「藤田選手はもう立派な自力選手ですね。」
藤田「後悔したくないからね。でも、この決断をする前はかなりプレッシャーを感じてましたよ。俺で通用するのか、ダメなら引退も覚悟ってくらい腹を括ってやった。人の後ろでウズウズしたり、若手に任せて後からウジウジ言うくらいなら自分でやってやれって。ダサいでしょ。」
記者「堤洋選手にも任されていましたね。」
藤田「あれは奈良。俺も一緒ってなった時に堤から明日お願いしますって言われてピリっとしたね。堤は一時期『最もタイトルに近い男』って言われていた選手だよ。そんな堤が俺に付くなんて。もうおれのやる事は一つだった。堤が2着で俺が4着くらいだったかな。今は後悔のないように自分でやる選択は間違ってなかったと思う。もちろん、前で頑張りますっていう選手が居れば付きますよ。そこは気持ちの問題。」
記者「太田海也選手も戻ってきました。お話はされましたか?」
藤田「(内藤敦)支部長を含めて俺と3人で軽く会食はしました。そこでこれからの方針とかも話したけど、それは太田本人からまた話すと思うので、そこで聞いてください。太田も僕ら以上に大変だったと思う。競輪のプレッシャーとは全然違うでしょ。オリンピックって世界規模で日本中の注目を集めて。返ってきたらすぐにG1。あんな状態で先行して3勝もするんだからやっぱ凄いよ!今はちょっと休ませてあげてくださいね。」
50歳を迎えた今でも自力を繰り出す藤田。記者も昔からよく話しをさせてもらっているが、いい意味で『真っ直ぐ』な人っていうのが当てはまる選手。人に注意するなら、その前に自分の行いを見つめ直す。人に押し付けるのではなく、自分で行動する。オリンピア太田海也が成長した背景には、この師匠との出会いがあったからだと記者は感じている。