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高松競輪 1日目 9R 1番車
吉本哲郎 選手
記者「2場所連続優勝おめでとうございます。」
吉本「実は前回は欠場も考えていたんですよ。嫁のお義父さんが危篤状態になったり、意識が戻ったりを繰り返していて危ない状態だったんです…。でも、お義父さんから競走に行ってくれ。走る姿を見せてくれって言われて参加していたんです。競輪が好きでずっと僕を応援してくれていた。もちろん参加するからには優勝を狙っているけど、前回だけはいつも以上に気持ちが強かった。絶対に優勝するって自分で決めていました。本当に優勝出来て良かった。最後に親孝行が出来たと思います。」
記者「そこから中10日ですけどバタバタですよね。」
吉本「一昨日、お葬式も終わってこの開催です。間で練習はやっていたけど、いつもと比べれば練習不足。ミッドで1番車があるし、走る分には影響はないと思って参加しました。ずっと家でおとなしくもしていられませんから。弟子の面倒も見なきゃいけないし、僕がレースで見せなければならない。頑張りますよ。」
記者「初日は中部3人。近畿の徳田選手が居て、吉本選手と富選手の中国2人。九州の小酒選手が1人です。」
吉本「準地元地区で徳田君の番手を主張もできるけど、僕がいかなきゃ小酒君が行くでしょ。譲ります。初日は自分でやって感触を確かめたいんです。今回は田口守からフレームを借りてきた。乗ってみたいと思っていたフレームなんですよ。このフレームの意図を僕も共感できるから、合えば自分で作りたいと思っている。試走である程度セッティングを煮詰めて本番を走りながら微調整したい。富(弥昭)さんには黙って僕のお尻を見とけって言っときます。でも、先行したら後ろを見て援護して下さいねって(笑)。」
大変な時期でもいつもの吉本ジョークを交え気丈に振る舞う。そして誰よりも早く競輪場入りし、自転車の整備をしていた。多くの弟子を持ち、慕われている吉本。それが分かる取材だった。